2026.2.15

少し違う視点から。学芸員・倉田さんと紐解く、高浜七年祭。


約450年にわたり高浜町で受け継がれてきた「高浜七年祭」。佐伎治神社の式年大祭として、6年おき(祭り年を含めて7年目ごと)に執り行われるこの祭りは、2025年6月にも開催され、町全体が大きな熱気に包まれました。

 

 

今回は、祇園祭研究を専門とし、高浜町史編さんをきっかけに高浜へ移住した倉田尚明さんに、初めて体験した高浜七年祭についてお話をうかがいました。

学芸員・倉田尚明さんの記事はこちら

 

 

 

〜中世の景色が、今もここにある〜
歴史を知ると、祭りは違って見えてくる

 

ピン!ト祇園祭を専門に研究されてきた倉田さんが、高浜町史編さんをきっかけに高浜へ移住され、そこで同じ御霊会(ごりょうえ)である高浜七年祭と出会ったというのは、なんだか不思議な巡り合わせですよね。

 

倉田そうですね。高浜に足を運ぶようになって、初めて七年祭の存在を知りました。令和元年の祭年にも高浜に住んでいたんですが、夜になると、住んでいたアパートの部屋が揺れるくらい大鼓の音が響いてきて。正直、ちょっと怖かったですよ(笑)

 

ピン!トそして今年(2025年)、初めて七年祭を最初から最後まで体験されて、改めてどんなふうに感じられましたか?

 

 

倉田めちゃくちゃ面白かったですね!祇園祭も長い歴史と格式を持つ祭りですが、高浜七年祭は、準備の段階から町全体が動き出して、その熱が本番に向かって一気に高まっていく。そんな圧倒的な熱気を感じました。

 

ピン!ト私は高浜が地元なので、七年祭になると自然と気持ちが昂ります。子どもの頃から当たり前にある一大イベントで、オリンピックみたいな感じ。謎に熱くなるんですよ(笑)

 

 

ピン!ト:ただ、私のように祭りを感覚的に楽しんでいる人もいれば、『やらなあかん』『決まり事だから』と、どこか義務的に参加している人も少なくないと思います。そうした中で、祭りの歴史や、しきたりの由来についても、知らないまま関わっていることが増えてきている感覚があるんです。

そこで今回は、学芸員である倉田さんの立場から、歴史的な視点で見た七年祭についてお話を聞いてみたいと思ったんです。

 

 

倉田そうですね。正直に言うと、今の若い人たちや、実際に祭りに関わっている人たちの中で、七年祭の歴史を詳しく語れる人は、決して多くないのかもしれません。でも、それでもここまでの熱量で続いてきた。その事実自体がすごいと思うんです。

特に印象的だったのが、祭り本番前に行われた金平橋での太鼓の叩き合いでした。あの光景を見た瞬間、妻と二人で、『中世の景色が、今もここにある!』って感動したんです。学芸員として、古い時代の町の姿や信仰のあり方を史料で見てきたからこそ、あの場面が、まさに史料の中の世界と重なって見えたというか。古い時代の原風景を、みんなが知らず知らずのうちに、今も残している。そのこと自体が、すごいなと感じましたね。

 

 

ピン!ト町の風景や自然環境も変わっていく中で、何百年前の高浜と同じ空気感を感じられるものって、なかなかないですよね。そう思うと、祭りがより貴重なものに感じられます。

 

倉田そうなんですよ。今だけを見ていると見過ごしてしまう感覚なんですが、歴史を知っていると、まるでタイムスリップしたような感覚を味わえる。僕や妻のように歴史を専門にしている人間は、『これはどういう由来なんやろう?』『こういう背景があるんじゃないか』と、つい考えてしまうんです。でも、見えていなかったものが見えるようになると、楽しさも倍になりますし、由来や意味を知ることは、祭りの継承や存続を考えるヒントにもなると思うんですよ。

 

 

ピン!ト今回の祭りでは、やむを得ず簡略化した部分もありましたし、七年祭をこの先も続けていけるのかな、という不安を強く感じました。だからこそ、倉田さんがおっしゃるように、少しでも祭りの歴史や由来を知っていくことが、継承の第一歩なのかもしれませんね。『ここは大事だから残そう』『ここは少人数でも続けられる形に変えよう』と。

 

倉田 :継承していくためには、より多くの人が関わりやすい形を模索していくことも欠かせません。形は変わっても、祭りそのものが続いていくことが何より重要だと、僕は思っています。でも、必要な部分は意識して守り、続けていくことも大切なんですよね。やりやすさを重ねる中で、祭りが持つ伝統や格式といった核の部分が、知らず知らずのうちに失われてしまう可能性もあるからです。

 

 

倉田 :ただ、そうした考えを踏まえた上で、『歴史を勉強しましょう!』と、“ よそ者 ” である僕たちが声高に言っていいのかというと、正直、迷いもあります。七年祭に対する町の人たちの想いは、理屈抜きに本当に強い。ここまで熱くなれるのは、地元を大事にしているからこそだと思うんです。

だから、この祭りについては、まず町の人たちの想いがあって、その上で歴史や意味をどう扱うかを考えていく。その順番が大事だと、僕は考えています。

 

 

 

 

〜伝統は、時代の都合で変わり続ける〜
足洗いから見えた、七年祭の現在地

 

倉田 :継承の意味って、それぞれの区が考える継承もあれば、佐伎治神社の宮司さんや総代さんが考える継承、祭りに関わる人、町民、行政が考える継承もあって、きっとみんな違うと思うんです。今年は特に、その違いが表に出た年だったんじゃないかなと思います。

 

ピン!ト :倉田さんは、どの場面でそれを感じられたんですか?

 

倉田 :最終日の『足洗い』の場面です。前回(令和元年)の祭りでは、足洗いの際に神輿同士がぶつかって破損する出来事がありました。その経験から、今年は宮司さんや神社の総代さんが、各神輿の総長に対して『安全に、厳かに行うように』と強く伝えていましたよね。

 

 

ピン!ト :そうですね。近年の足洗いは祭りのフィナーレとして砂浜を激しく神輿が練り歩くのが見どころになっていて、楽しみにしている人も多かったと思います。今年は例年に比べて、とても静かな足洗いでした…。観客の中には、少し残念だったという声もあったようです。

 

 

倉田 :総長も駕輿丁(神輿を担ぐ人)も、例年通り盛り上げたかったと思います。でも、もし『危険な祭り』と認定されたら、補助が出なくなるかもしれない。神輿がまた壊れてしまったら、もう直せないと言われるかもしれない。じゃあ、その修理代を区や町民が負担できるのかと考えると、現実的には難しい。パッションだけではどうにもならない部分です。

 

ピン!ト :言われてみると、確かに……と思います。みんなそれぞれの立場で、『どう続けていくか』『何を残していくか』を考えないといけないわけですね。

 

 

倉田 :今回は、神社が考える継承を、総長がしっかり受け止めたんだと思います。足洗いの前に、総長が駕輿丁に向かって『今年は頼む、堪えてくれ』と伝えている場面を見て、僕はすごく感動たんですよ。次の祭りにつなげるために、人が葛藤し、伝統を変えた瞬間ですよね。これもまた、高浜七年祭の長い歴史の一部になったんだろうなと思いました。

 

 

ピン!ト :そう聞いて振り返ると、今年の足洗いはとても印象的な場面だったと感じます。

 

倉田 :昔の足洗いは、浜で芸が奉納されていた時代もあったそうです。本来、足洗いは厳かなもの、雅なものだと言われるのは、そうした背景があるからだと思います。ただ、それが「本来の姿」かと言われると、それもまた、その時代ごとのオリジナリティだったのかもしれません。現代の足洗いは、観光の視点から祭りの見せ場をつくる中で、激しさを増しながら変化してきたのかもしれませんね。

伝統というのは、時代の都合の中で変わり続けるものだと思うんです。今回の足洗いもそうですし、お囃子に初めて女性が参加したこともそうですよね。子どもが減ったという背景があっての変化です。

こうした変化と、その背景をきちんと記しておくことが、とても重要だと、学芸員という立場では感じています。

 

 

ピン!ト今となっては『なんでこれ、こうなんだろう?』ということもたくさんあります。伝えられる人が減って、謎が増えていくだけになるのは、もったいないですよね。

 

 

 

謎解きのように、七年祭を見てみる
祭から浮かび上がる、町の歴史

 

倉田 :謎と言えば。七年祭の時、大学の先生に佐伎治神社に来てもらって、ずっと動画を撮ってもらっていたんです。その中で、『ちょっと気になるところがある』とおっしゃっていて…。

2日目の『山上がり』の日、曳山が佐伎治神社に勢揃いして、本殿に向かって芸を奉納しますよね。その時、若宮区だけが本殿ではなく、少し斜めを向いているんです。これ、何だろう?って。

 

ピン!ト :確かにそうですね。若宮区は赤い絨毯を敷いてお囃子をするから、曳山が邪魔にならないように、横にずらしているだけじゃないんですか?(笑)

 

 

倉田 :地元の方に聞くと、そう言われることが多い。でも、曳山の向いている先をよく見ると、本殿の横にある稲荷社の方向を向いているんですよ。

稲荷信仰には、商売繁盛だけでなく、実は海の信仰もあります。そして、若宮区の曳山には、安倍晴明の五芒星と、晴明のライバルとされる蘆屋道満の紋『ドーマン・セーマン』が布に使われている。これは、海や海業の守り印とされるものなんです。

若宮区は、曳山の中でも最も古く、海業と深く関わってきた地域です。…つながってきますよね(笑)

 

ピン!ト :パズルみたいに、はまってきましたね。それは知らなかったです!

 

 

倉田 :さらに言うと、稲荷社は中世から京都の東寺、つまり真言宗と結びつきが強い。そう考えると、佐伎治神社も、もともとは真言宗とのつながりがあるので、何かその名残が今も若宮区にだけあるんじゃないか、という話を大学の先生としていたんです。仮説の段階で、まだわからないんですけど(笑)

面白いですよね。もし実証できたら、京都の祇園祭とも違う、高浜ならではの歴史が見えてくる。中山寺をはじめ、歴史ある寺院が多いことや、『牧山(まきやま)』と呼ばれる真言宗と繋がりの深い山も高浜にはあります。祭りの一場面から、町全体の歴史が少しずつ浮かび上がってくるんです。

 

 

ピン!ト :歴史が苦手な私も引き込まれる話です(笑)もっと倉田さんのお話を聞いてみたいですし、地元の人たちと一緒に語り合う場があったら、すごく楽しそうですね。

 

倉田 :そうですね。僕も、地元の方や七年祭に熱い想いを持つ若い人たちと、もっと語り合ってみたいですし、そうした場があれば、学芸員として何かお手伝いできたらいいなと思っています。

 

写真提供:高浜町郷土資料館

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倉田尚明さん

京都市西京区出身。奈良大学・史学科で古文書について学んだ後、京都に戻り、龍谷大学大学院(修士・博士課程)へ進学。龍谷ミュージアムで学芸業務アルバイトを経て、高浜町史編纂(へんさん)のため高浜町へ。2021年に高浜町郷土資料館の学芸員として正式採用。現在は、仁愛大学の非常勤講師も務める。

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