2024.3.19

歴史に光を当て、高浜町の隠れたおもしろさを伝える。学芸員・倉田尚明さん。


古い資料や道具、美術品を通して、町の文化や歴史、人々の暮らしの跡を今に伝える高浜郷土資料館。ここでは、年間を通して4つのテーマを設定し、特集展示が行われています。

 

 

この場所で学芸員として働いているのが、倉田尚明さんです。

倉田さんは、令和のはじまりとともに高浜へ移住。古文書を読み解く研究者として町史の制作に携わりながら、学芸員として地域のいま、そして未来を考えていらっしゃいます。

 

倉田尚明さん

京都市西京区出身。奈良大学・日本史学科で古文書について学んだ後、京都に戻り、立命館大学大学院(修士・博士課程)へ進学。龍谷ミュージアムで学芸業務アルバイトを経て、高浜町史編纂(へんさん)のため高浜町へ。2022年に高浜町郷土資料館の学芸員として正式採用。現在は、仁愛大学の非常講師も務める。

 

 

一握りのチャンス。町史編さんのため、見知らぬ町・高浜へ。

 

倉田さんは京都市西京区の出身、嵐山や祇園にも近く歴史を身近に感じられる桂エリアで育ちました。

 

 

倉田:

「歴史マニアというタイプではありませんでしたが、子どもの頃から、よく家族と大河ドラマを見ていました。その経験から自分の『歴史好き』に気づき、この世界に進むことに決めたんです」

 

 

倉田さんは、奈良大学の日本史・歴史学科で4年間みっちり古文書を中心に学びました。卒業後は京都に戻って、龍谷大学の修士課程、博士課程と進み、専門性を高めていきます。

 

倉田:

「そのころ、龍谷大学の龍谷ミュージアムでアルバイトもしていたのですが、高浜町で町史をつくるために古文書が読める人を探しているという話があったんです。人材探しをしていた高浜町の方が、たまたまミュージアムの館長の知り合いだったこともあり、僕にも声をかけていただきました」

 

 

この時点で、倉田さんにとって高浜町は縁もゆかりもない、見知らぬ町でした。でも、自治体の町史編さんに、研究者として関われる人は全国的にもごく一握り。しかも大学院で研究を続けているタイミングで声がかかることは、本当に稀なことでした。

 

 

倉田:

「これは僕の実績としても絶対に大きい、このチャンスを逃してはいけないと思って、すぐに『行きます』って手を挙げました」

 

高浜町では2017年から町史編さん委員会が立ち上がり、町の文化や歴史を再認識できるものとして内容の充実を図っていました。

 

 

倉田さんが編さんに関わる話はとんとん拍子に進み、令和元年の5月ごろには、すでに高浜町での生活をスタート。最初の頃は、学業と両立のため、当初2~3年ほどは、週3日を高浜町で、残りは京都に戻るという二拠点生活を送っていたそうです。

 

倉田:

「2022年に学芸員として正式採用されてからは、大学で発表があるときなど以外は高浜で過ごしています。今年で町史もひと段落し、あとは付録や正誤表を整え、刊行記念展を担当するところまで進んでいます」

 

 

高浜町史は、19年に「絵図・書画・絵葉書・古写真」、20年に「古文書」、22年に「現代編、さらに今年「資料編 埋蔵文化財」を刊行し、全4巻が発刊されました。

 

▼郷土資料館や公民館、図書館でご覧いただけます。

 

町史編さんという大仕事をやりとげたことで、時間や気持ちに少し余裕が出てきたという倉田さん。これから研究者として、歴史の掘り起こしにも本格的に力を入れていきたいと話されていました。

 

 

 

倉田さんが注目する、高浜の歴史と人物。

 

歴史の専門家である倉田さんの目で高浜の歴史を紐解くと、どんな姿が見えてくるのでしょうか。

 

 

倉田:

「高浜は福井県嶺南地方にありますが、実は同じ福井県の嶺北よりも、丹後や丹波、京都側と歴史的に深くつながってきた町なんです。中山寺馬居寺など、高浜には京都とつながりのある真言宗の寺院が点在しています」

 

▼馬居寺(まごじ)

馬居寺

写真:若狭高浜観光協会「たびなび」より

 

倉田:

「また、伊藤若冲の弟子である 維明周奎(いめいしゅうけい)も、京都との強いつながりを象徴する人物です。維明周奎は、京都・相国寺の禅僧であり、画家としても活躍しました。高浜町出身の周奎は、京都で制作した数多くの作品を故郷へ持ち帰り、現在も郷土資料館には、周奎による梅の絵が収蔵されています。高浜ではZENの釈宗演が広く知られていますが、同じく京都と高浜をつなぐ存在として、維明周奎にもぜひ注目してほしいですね」

 

 

倉田:               

「個人的には、明鏡洞も好きなスポットです。景観として美しいのはもちろんですが、ここは金閣寺を創建したことでも知られる、室町幕府三代将軍の足利義満が立ち寄ったと伝えられている場所でもあります。歴史上の人物と同じ景色を見ていると思うと、感慨深いものがありますよ」

 

▼明鏡洞(めいきょうどう)

 

こうした人物の足跡をたどっていくと、高浜が京都と深く結びついてきた町であることが、随所から見えてきます。

 

倉田:

「福井県の一部としてではなく、京都や丹後とつながってきた海の町・高浜として歴史を捉えることで、町のPRのあり方も変わってくると思います。観光用の歴史だけでなく、暮らしを支えてきた文化としての歴史も伝えていきたいです。町民の皆さんにも、高浜は歴史という点で見ても、ポテンシャルの高い町だということを知って欲しいですね」

 

▼公民館講座や、学校の学習の場でも活躍

 

 

 

歴史を通じて広がる、ワクワクと学びの輪。

 

学芸員として、何か地域に貢献していきたいという想いから、倉田さんは様々なことに挑戦していきます。そのひとつが、京都芸術大学と連携して行った、民具の調査・修復です。

 

 

倉田:

「高浜におばあさんが住んでいるという京都芸術大学の学生さんが、資料館を訪ねてきたことがあったんです。大学では民具の研究をしているということで、館に所蔵している民具を実際に見てもらいました」

 

この出会いをきっかけに、京都芸術大学で民具を専門とする教員とゼミ生たちが高浜に来てくれることに。資料館の民具の修復・クリーニングを行ってくれたそうです。

 

 

倉田:

「その成果として、前年度に町の文化会館で『民具展』を開きました。糸車を使った糸紡ぎの体験や脱穀機の仕組みを昔の道具から考えるワークショップなども行い、子どもたちにも好評でした」

 

 

倉田:

「大学との連携の他に、古文書のサークルを立ち上げました。町民の方々、特に高齢の方が家から外に出るきっかけになるようなコミュニティがあればいいなと思って。月に1回ほど集まって、高浜に関係する古文書をそれぞれ読んできて、みんなで答え合わせをするんです」

 

 

ひとつの文書から、その時代の背景や人物が見えてきて、参加者もその面白さを実感しているのだそう。

 

 

倉田:

「高浜って、良くも悪くもシャイな人が多いと思うんです。講演会にも来てくれるんですけど、僕と1対1やったら、言いたいことをちゃんと言ってくれる。でも、人が集まる場になると、どこかお互いに様子をうかがってしまっていて…『何をそんなに遠慮してるんや』って思うこともあるんです(笑)」

 

 

倉田:

「だから 小さな “サークル” くらいの場にすると、僕との距離も近くなるし、横のつながりも生まれやすいんじゃないかな、と感じています」

 

 

今後は、さらに活動の幅を広げて、町内で文化歴史のツアーやイベントを精力的にされている人たちを専門的な立場からバックアップしていきたいと話していました。

 

 

 

学芸員夫婦ならではの、高浜暮らし。

 

学芸員として活動の幅を広げる倉田さんですが、高浜町に移住してからは、ご結婚など、プライベートでも大きな変化があったそうです。

 

倉田:

「妻も福井県で学芸員をしていて、高浜に来てから出会いました。学芸員同士なので、歴史の話が自然と日常会話になります。七年祭りをはじめとした祭りや行事も、ただ『楽しい』だけじゃなくて『これ、どの時代の名残なんやろう』とか、“倉田家”の目線はちょっと違うんです(笑)」

 

 

倉田:

「結婚式もお寺でやったんですよ。せっかくなら歴史のある場所で節目を迎えたいと思って。妻も群馬出身で、僕たち二人とも移住者ですし、地域に受け入れてもらえたらという気持ちもあって、中山寺で結婚式を挙げることにしたんです」

 

中山寺は青葉山の中腹にあり、北陸三十三ヶ所観音霊場第1番の名刹です。本堂や金剛力士像は国指定重要文化財にも指定されています。

 

 

倉田:

「披露宴では、ケーキはアンヴェルブさん、花は丁子屋さんなど、ほぼ地元業者に準備を依頼して行いました。結婚式をきっかけに、地域の人との関係性が深まったと思います。いまでは子どもを預かってくれる人、子どもに『大きくなったね』と声をかけてくれる人も増えました」

 

▼「わくわく☆ちびっこ食体験クラブ」にて

 

倉田:

「妻はこども家庭センターのkurumuによく行ったりしているみたいですよ。高浜町は子育てのサポートが手厚いので、助かっています」

 

 

歴史や文化を伝えながら、地域の一員として確かな根を下ろしている倉田さん。これからも、気軽に会える『町の学芸員さん』として、私たちに面白い歴史の話を聞かせてくださいね。

 

 

・・・

次回は、倉田さんの視点で読み解く高浜七年祭をお届けします。京都の祇園祭を専門とする学芸員として、七年祭の伝統と継承について、あらためて紐解いていきます。

 

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