2025.10.12
海の見える工房から。組子の未来を紡ぐ、土本聡美さん 。
福井県と京都府の境にほど近い、海沿いの小さな集落・高浜町上瀬(うわせ)。青葉山のふもとを抜け、内浦湾の穏やかな入り江へとたどり着くと、一軒の工房が見えてきます。

ここで長年受け継がれてきたのは、釘を一切使わず、ミリ単位の木片を組み合わせて模様を描く、日本の伝統工芸「組子細工」。その繊細な技を守り続けてきたのが「土本工芸」です。

その組子の美しい紋様を新しい形で伝えたい――。そんな思いのもと、夫であり土本工芸の二代目・恭義さんとともに、新しい作品づくりに挑んでいるのが土本聡美さんです。

8年前、聡美さんは「Domoto Kougei」として新たな事業を立ち上げました。組子の伝統を礎に、紋様の美しさを雑貨に生かし、暮らしに寄り添う形で広げています。

中でも目を引くのがブランド名「くみことは」の商品シリーズ。組子の繊細な木組みにステンドグラスを組み合わせ、光の加減で表情を変える作品です。伝統の温もりと現代の感性が重なり合い、手の中でやわらかく輝きます。

「木の美しさを、日常の中でも感じてもらいたい」そんな願いを込めた作品たちは、アクセサリーとしてもインテリアとしても人気を集めています。
木とともに暮らす、夢のはじまり。
聡美さんは、愛知県あま市出身。幼い頃から「ものづくりをしたい」「自然のそばで暮らしたい」という思いを抱きながらも、最初に選んだ仕事はプログラマーでした。
長くパソコンに向き合う日々を送りましたが、休日には絵を描いたりダイビングをしたりと、“ものづくり” と “自然” への憧れはずっと消えることがなかったといいます。

30歳を目の前に、思い切って職業訓練校に通い、木工の基礎を半年間学びました。そして木の仕事を志し、職安で調べてたどり着いたのが、高浜にある木工所でした。
冬に会社見学に訪れたとき、太平洋側で育った聡美さんが抱いていた「日本海の冬=荒波と灰色の空と海」というイメージは一変します。

「目の前に透き通った海が広がっていて、こんなにきれいな景色があるんだと驚きました。その瞬間、ここで生きていこうと決めたんです」そのときのことを思い出すように、聡美さんは静かに笑いました。

木工所に勤めながら、休日には土本工芸の初代であり師匠の組子指物師(くみこさしものし)土本保さんの工房に通い、技術を学びました。そこで現在のご主人・恭義さんと出会います。

保さんから刃物の研ぎ方をはじめ、基礎から組子の技を教わりながら、念願だった海の見える町での暮らしが始まりました。こうして、思い描いていた「木とともにある生活」が、少しずつ現実のものになっていったのです。
伝統の手の先に、未来を描く。
夫婦でありながら、師弟のようでもある――。お二人は建具を中心に、長年培われてきた木工の技を今に生かしています。

天井まで届く建具や、繊細な紋様を施した障子など、住まいの中で自然に調和する木の仕事を手がけています。デザインは、お客さんと一緒につくり上げていく。イメージをもとに絵を描き、サンプルをつくり、何度も調整を重ねながら形にしていきます。
竜胆(りんどう)や桐麻(きりあさ)など、古くから伝わる文様を取り入れた建具は、凛とした佇まいの中に温かみがあり、暮らしの風景にすっと溶け込みます。

一方で、伝統の技を受け継ぐことは決して容易ではありません。聡美さんは「専門用語が難しくてわからなかったり、仕事の空気をつかむのが難しいこともある」と話します。

平面から立体を起こすときの角度や寸法はミリ単位の世界。 組子細工では、ほんのわずかなずれが全体を崩してしまいます。それは、自身のブランド「Domoto Kougei」の作品づくりでも同じこと。それでも「こういう形をつくりたい」という思いが、手を動かす力になっているといいます。

「つくりたいものはたくさんあるけど、技術がまだまだ追いつかない(笑)毎日もがきながらも、夫や義父の存在に励まされて、また次をつくる」そう穏やかに語る聡美さんの姿に、職人としての芯の強さがにじみます。

一方の恭義さんも、長年の経験を重ねるなかで、ようやく理想に近い仕事ができるようになってきたといいます。「若いころは視野が狭くて、“こうしなきゃ” という思い込みが強かった。でも、年を重ねるうちに、どうしたらもっと良くなるかを考えるのが面白くなってきた」と笑います。

今、恭義さんが力を注いでいるのは、※治具(じぐ) の改良です。長年の経験で培った職人の感覚を、誰もが再現できるようにと工夫を重ねています。
※治具(じぐ)とは、部品を正確に固定したり、位置決めをしたり、加工をガイドしたりするために使用する補助工具


「昔は “師匠の技を盗め”って言われていたけれど、そんな時代じゃない。工夫すれば、誰でもきちんとできるようになる。自分が何十年もかけて習得したことを、妻でもできるようにしたい。そしてこの先、他の人にもつなげていけたら」と恭義さんは語ります。

受け継いだ道具に自らのアイデアを加え、次の世代にも扱いやすい形へと進化させる。変わらぬものを守りながら、変わることを恐れずに――。その手の先に、伝統の新しいかたちが見えていました。
好きな場所で、好きなことを続けられる幸せ。
ものづくりは、机に向かい、黙々と手を動かす時間の積み重ね。一方で、人と出会い、伝えていくことも同じくらい大切だと聡美さんはいいます。

「主人も義父も、仕事をしながらいろんな人との“縁”をつくっている。つくる人と伝える人、その両方がいないと伝統工芸は続かないんです」
自身も展示会やイベントなど、県外へ積極的に足を運び、組子の魅力を発信しています。最近では万博にも参加し、作品を通して伝統工芸の新しい形を届けました。「田舎と都会、両方の良さを知って、つなげていく。そういう環境で仕事ができるのはありがたい」と微笑みます。

普段は青郷にあるアトリエで制作に打ち込み、内浦の工房と行き来する日々。時には地域のイベントで、同じようにお店を営んだり、ものづくりに励む仲間たちと励まし合い、「がんばろうね」と声を掛け合うその時間が、何よりのリフレッシュになるといいます。

子育てや仕事、伝統を受け継ぐこと――思うようにいかない日もあります。それでも、好きなことを好きな場所で続けていける喜びがある。

聡美さんは今日も静かに手を動かします。手の中で削られ、磨かれていく木のように、 ひとつひとつの経験が確かな形となり、未来へと受け継がれていきます。
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